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唐突に始めてしまったブログも7月から更新しないまま夏が終わっていました。 今年の夏はこの数年の猛暑と比べれば過ごしやすい暑さで、仕事もテキパキと捗った……というのはウソで、いやウソではなく8月の個展に向けて動くには動いてはいたのですが、体調が少々よくなくて、気が付くと夏があっという間に終わっていたという感じです。 (どれくらい体調がよくなかったかというと、煙草がまずく感じられ、『やめてみるか?』と思ったくらいの程度) それでもありがたいことに、どうやってヒットしたのか私のブログを見て連絡を下さる方もいて!、 つくづく更新の必要性を感じた次第であります。 私自身版画の作品を創り発表してきた作家として、私の手を離れた絵達が人々の目に晒され、感想、評価を(時に罵詈雑言も)頂戴する恐怖を幾度となく味わってきたわけなのですが…。いざブログを始めて、パソコンの前に座るとやめたはずの煙草に手が延び、今夜は何を食べようかなどと考えたり、まるで試験前夜の学生のような現実逃避。 その上、参考にと知人のT氏、S氏のブログを見れば、いずれも彼らの人間性が見事に見る者に伝わってくる内容で、映像も凝っていて思わず『参りました!』と刀を置きそうになる始末。 ブログ初心者の私には彼らのブログはとにかく羨望の的で、アレやコレやと考えてばかりでなかなか筆が進まなかったのです。 (始めから言い訳ばかりでスミマセン!) 『ブログなんだからもっと肩の力を抜いて徒然なるままに書けば?』と人に言われ、さもありなむ、 ではまず挨拶代わりに私自身のことから書いてみることにします。 SF・冒険小説を好んで読み、ロックを愛する少年でした。中学生の頃 「現在起こっている戦争を全部書き出しなさい」という問題に 『宇宙戦争』と書いて、自身笑いこけたことがあります。 私は第二次大戦後、この世に戦争というものが存在すること自体が想像できなかったし、ロック少年の私にはその音楽の歌詞にある夢が現実としか思えなかったのです。 今でも読む本や好きな音楽は基本的には変わっていないけれど、歳を重ねた分行間を読み取る感覚や、聞こえてくるメッセージは若いときとは違ってきています。 その話はまたいつか書かせていただきます。 工房の案内の次に載せてある『惑星クラクフ日誌』について。 2002年秋から一年間 ポーランドの古都クラクフに遊学していたときに、修行中の絵描きの位置から、日々の生活の中で自身に移った言葉を綴ったものです。 若い頃から《旅》はよくしてきましたが、たとえ一年間でも異国に《住む》経験は初めてであり、それもかなり特異な歴史をもつ国だったせいもあってか、今でも名状しがたい不思議な感覚と痛みが残っています。 それから6年。変わらず作品を創り続けてきて、再び自身の言葉で発信しようとしています。 語りたいことが鎖のように一部を重ね、しっかり組み合わさりながらどこまでも続いてしまいそうで、うまく一回一回ひと区切り出来るのか不安でもあります。 しかし、我儘な想いが、版を重ねるがごとく、次第に形を浮き上がらせ、読んでくださる人に見えてくるとよいな、と願って。 祈りをこめて。さて。今から。 #
by water-yo
| 2009-10-10 12:45
| 高橋洋のブログ
yo takahashi profile 1958 東京に生まれる 1979 日動版画グランプリ展 日本版画協会展(’79〜’83 ) 1982 セントラル美術館版画大賞展(’85〜’87 ) 1983 文化庁国内研修員 春陽会展新人賞(’85 研究賞’89 安田火災財団奨励賞 ’95岡鹿之助賞) 1985 中華民国国際版画ビエンナーレ(’87’89 ) 1990 ザイロン国際木版画トリエンナーレ/スイス 1993 ベルギー日本現代版画交流展/目黒美術館ギャラリー、長野、浜松 1994 Papier Als Middelpunt"HANGA WASHI"/ALDEN BIESEN城 ベルギー 1996 毎日現代美術展/東京都美術館、京都市立美術館 1997 日本の11人の現代作家展/スワンドゥシット教育大学/バンコク ポーランド・日本現代版画交流展/ヒルサイドテラス代官山、長野、静岡、高知 1998 第5回カリニングラード国際版画ビエンナーレ10年祭&日本版画展/ロシア SPACE-現代日本版画展/ティコティン日本美術館/イスラエル 1999 台湾・日本現代版画交流展/目黒区民ギャラリー、台北 2000 多摩国際版画交流展 カナダ・日本 アマドラ国際版画ビエンナーレ/ポルトガル(受賞) 2002 ロシア・バルト3国・日本 国際版画交流展/須坂版画美術館) 2003 文化庁在外研修員(ポーランド) グラ国際木版画トリエンナーレ/ポーランド(受賞) 2007 第5回ウラル版画トリエンナーレ/ロシア 個展/東京、前橋、新潟、静岡、焼津、浜松、名古屋、大阪、神戸、富山、金沢、札幌、アントワープ、ロシア 収蔵/カリニングラード美術館(ロシア) ティコティン日本美術館(イスラエル) 現在 春陽会会員 日本美術家連盟会員 YO TAKAHASHI PROFILE 1958 born in Tokyo,Japan 1985,87,89 ROC International Prints Biennial /Taipei 1990 Xylon International Woodcut Exhibition /Switzerland 1993 Print Message From Japan/ Thailand Belgium-Japan Prints Exchange Exhibition / Japan 1994 Papier als Middelpunt, HANGA WASHI / Belgium Triennal Mondiale de Stampes Petit Format /France 1995 Thai-Japan Prints Exchange Exhibition / Japan ,Bangkok 1996 Contemporary Art Exhibition Of Japan / Tokyo,Kyoto 1997 Poland-Japan Prints Exchange Exhibition / Japan International Woodcut Exhibition , Jelenia Gora /Poland 1998 5th International Graphic Biennial of Kaliningrad / Russia space−Modern Japanese Prints /Islaei 1999 Taiwan-Japan Prints Exchange Exhibition /Taipei,Japan Canada-Japan International Prints Exhibition / Japan 2000 Amadora 7th International Biennial Of Prints 2002 Living Faces in Japan 2001+1,Russia Lithuania Estonia Latvia/,Japan 2003 InternationalWoodcut Exhibition , Jelenia Gora 2007 The 5th Ural graphic triennial/Rosia solo Exhibition : Japan (Tokyo/Maebashi/Shizuoka/Nagoya/Ohsaka/Koube/Kanazawa/Toyama/ Sapporo ) Belgium ( Antwerpen ) , Russia( Novosibirsk ) collections : Tikotin Japanese Museum/ Islaei, Musium of Kaliningrad / Russia adress : 2-5-47 izumi suginami-ku Tokyo ,Japan 〒168-0063 tel,fax 81-3-3322-5852 #
by water-yo
| 2009-07-12 09:22
| yo's gallery
#
by water-yo
| 2009-06-14 21:05
| 木版画テキスト
ポーランド、クラクフにて1年の遊学日誌です。静かな冬の情景と作家の制作の日々と共にお楽しみください。
惑星クラクフ日誌 01/09/2002 - 16/08/2003 scene1 エアポート クラクフ、バリーチェ宇宙ターミナルに降り立った。ロココ調の塔の形をしたロケットには写真家の安斉重男氏が大阪近代美術館かすやあき子氏のが同乗してい、どちらからともなく、顔を合わせる。 外気に触れると、まだ夏の日ざしが残っている、向かえの宮永君とマンガ日本技術センターのボジェナさんの顔が見える。 9月初めの月曜日、ハイスクールの初日。 思い思いの白いシャツに黒のミニスカート。 アパートの家主な御夫妻はデジャブ。 `お会いしましたよね` 過去にこれまで会った人だ。この人たちは知ってる。 フランス人の女性とロシア系ポーランド人のこのカップルはどこで? 誰に似ているのか、思い出せない。 03/09/2002 4日目。1902年製のアパート、床の不均衡さにも少し慣れた。 据え置きの骨董家具達はいっこうに、真直ぐにならない。その中の、鉄の鍵の置かれた黒と金の置き時計はトラベルウォッチを共存させない。 石の家では垂平は直せない。演歌の平行のぶれ。 04/09/2002 こんなにも好い天気、秋晴れ続き。 たぶんこの日光浴のシーズンあっての冬なのだろう。 初期型ロボット、いんたーねっとカフェ。 Buji tuita.ryouri,kaimono, sentaku dekita. Mail imada hutuu. 05/09/2002 アントワープにも行こう。ベルサイユにも行こう。(企画展があるのです) どう、資金繰りがつくか? 06/09/2002 季節、気候が変わってゆく。夕立ち、曇り空、温度、木々は実を落とした。 秋から冬へと なぜか、太って来ている。ダイエットしに来たのに・・・ 夕刻前の一刻、窓のあかり。 09/09/2002 生物の眼で見える物は実体のない、像であってそこに置かれた事象は存在しているのだろうか。 私の眼は極端は視力が違い、右の眼で見た事象と左とでは10センチ位置が離れる。 そこにある事象は存在しているのか? そう、存在はしている虚像を見ている限り。 Asia-joanna 0501-642-275 10/09/2002 鏡はどこからの光を吸収し青く発しているのだろう。 実体と虚像でもない光りだ。 本質は丸いのだろうか? 四角いのではないかと・・ 忘却の中ならば内在できる。 人は四角の隅に入り込み、余白に生きる。 13/09/2002 平面(paper)はその形を変えることができる。 平面は和紙(紙)であり、ひかりであり、風であり、創造であり、現象である。 Paper-letter Paper-landscape Paper-window Paper-sight Paper-human Paper-入口、出口、事象・・・ 配線の切れた古いステレオをなおす、jazz radio チャンネルを見つけた。 15/09/2002 scene2 旧市街 50メートルも歩くと教会に、出会う。大袈裟な表現と聞かれるかも知れないが、なんと10メートルも歩くとの間違いである。 この街は(クラクフ)は95パーセントがカトリック。 あまりの教会の多さに驚かされてしまう。 中へ入ると旅行者も共にひざをつき、十字を示す。無宗教の私はいる場所なく、せめて出口では、まっすぐ振り向き膝をまげた. アパートの窓からは4つの十字架が見えている。 滞在1ヶ月が過ぎた。 1週間、小雨が続きすでにコートの季節に入っている。 来年の秋には見られないのだから、寒さも。 長い曇り空の中、外に出たくないとおもい、日曜日に晴れ間が覗いた。 旧市街へ歩きでると、やはり人でいっぱいだ。 もちろん、旅行者が多いのだが市場、公園にも日ざしを求めて表に出て来たのだ。何回か背を伸ばした。 30/09/2002 scene3 入学セレモニー(アカデミーオフファインアートクラクフ)10/2 聖歌で始まり、おごそかに又ながやかに始まった。司祭の出席が華をそえている。学長と共に赤い帽子、赤い衣でまえに3人並ぶ。後ろには、濃紫の衣の5人。その左右に7人ずつ着席された。 全て奇数なのには、興味をいだかされた。 新しい教授の紹介、亡くなった教授の死が起立の声で祈られた。 生徒代表の挨拶、学長が15名の新入生に対し精芯棒でひとりずつ肩をたたく。 最後には校歌が斉唱された。もちろん音楽科の生徒によるライブだ。 この街はヨーロッパの縮図であり、大小の確定の基礎とも考えられる。 宗教(カトリック、ユダヤ) 死(アウシュビッツ、ホロコースト) 伝統(古き遺されたもの、残すもの) 小さな街という単位。暮らす事のできる大きさ。 Piano concerto no.2 in cminor o.p.18 Sergey Rakh maninor 14/10/2002 scene4 Prof.ヤン・パムア教授室 面会の為アカデミーにて、待ち合い室での30分後,3人の秘書のいる部屋を通り、教授室の椅子に座るパムア氏に会えた、『君の為に何でも手配しよう、何が望みだね。』 ワルシャワphoto gallery2—3廻る。 その作家たちの中に求めるポーランドのイメージがあった。 写真の質感、1950‘アメリカ、漆の世界。 表現技法、伝える事、視点、人間(会話、死、宗教心)、 影響でマチエールまでデジカメながら、黒白にする事にする。 横になびく月の光り、そのとおり、そのさざ波の川の流れ、着く先知らず。 人の無知なる言葉を浮されつつ。 19/10/2002 たまには、酔っ払いの戯言もいいかなと。予定もなく、そろそろ 制作してもよかろうに。 ウォッカをレモンで割りメールです。 この地に来たのは、たとえば孤独とほんとうに立ち向かえるのか? 孤独はほんとうに、基本の個とありうるのか? いやだ。いやだ。その存在と思いも、都会の中では過ごせる。 しかし、、あるいはまた、その生は無意味な生き方として消え去ってしまう。 また、狂気の中で考えされる。 有り難い事に、本を読んでいると冷静になる。 ここにいたくない、自分と向き合い宇宙へ逃げだせる。 このシリーズは人間に知性化されたイルカが宇宙船を操縦して、本質に神のよ うな遺跡を見つけてしまうのだが、本能として遊んでしまう部分がおもしろい。 人は人で有り様でしかない。ということ。 24/10/2002 1年の滞在証明を出すんだけど、認可証でるのに1年とか。申請許可申請は1ヶ月とか、なんだかよく分からない。 人は自分を信じる事と神(宗教)を信じることをいっしょくたにしている。 一人で遊ぶ技術について。思考、変容 自意識 ふたりで遊ぶ技術。sex、会話、論争 共感 多人数で遊ぶ技術。宗教、ボランティア、戦争、 自意識、共感 上記の設問に考えを加えよ。 パイプ始めました。CD買いにいきました、ひとりで遊ばなくては。 28/10/2002 scene5メールfrom kishou temple・・・アンドロイド・シロウ >さて、年末か年始に本当に行っても良いのでしょうか? そちらとしてはいつが良いですか。 希望としては、12月20日に国外に出たいのですが、それはさておき、 (ビサの申請がたいへんで3ヶ月ごとに出る事もあり得る) ハンガリーやスロバキア(近いから?)もチェコ、スロバキア、ブダペスト、ウイーンは列車で7-10時間でいける。 これって、たいへんなのかな。 ウイーンには行ってみたけど、5千円程、寝台車は7千円ぐらい。 どのくらいの日程なんだろう? 最低3日はクラクフにかかる。それでも、いそがしい。 それからほかにひとつの国へ行くとすると? >クラクフで行きたいところは聖マリア教会、大聖堂、ヴァベル城? カジミエーシュ地区。 ダ、ビンチのてんを抱くなんとかはボストンへ出張中。 >ヴィエリチカ岩塩採掘場はぜひ行きたいです。 アウシュビッツは? ザコバネ、冬はスキー場かもしれないが、ここから近いリゾート地 山と自然を見に行くらしい。バスが安い。 私もまだ、だれかが来た時と考え、いってないのだ。 > とりあえず住所と電話番号を教えて下さい。 クラクフのエアポートへ迎えにいけます。 Ul. Soltyka 15/3 krakow, 31-529 POLANDO tel 012-421-5843 ( Ul.っていうのは通り、SolのLは斜線が入る。) 飛行機はやはりオーストリア航空がいいのかねー > 経由でクラフクに直行出てるよね? 私の時はフランクフルト経由のルフトハンザ航空、 もし安いチケットならSTA TRAVEL て、見てみて日本にもあるらしい。 >だけど布団とかあるの? だいじょうぶです。借りれるし、安いし、問題ないです。 街路の枯葉をずいぶんきれいにするんだな。信じられない。 と、考えたら11月1日は万聖節。日本のお盆のような事だと聞いたが、たぶん、その日にあわせてきれいにしているんだ。考えられない。犬のフんをそのまま自然に返す人たちだよ。 感傷的なタッチとは? 感傷的な形とは? 31/10/2002 課題としても西洋技法も取り入れようと思う。 平面的立体表現 薄い和紙の上から水を与えて摺れば滲むか。 この街にELOは似合わないなあ。 02/11/2002 四角い水の話—その後 内であり、外でありもっとみずを加えよ。変容させよ。 クロアチアーdublovnik.は綺麗らしい、と浅草の鬘やの娘。 海と丘の街。 04/11/2002 scene6 リタイア、オトレンバ教授 マンガ美術館にて、『アカデミー往ってるのかい?』 往ってません。『よろしい。』 なんだか、楽に過ごしてます。 怖くなくなって来ました。適当に髪の毛きったり、短くしたら こっちの人にジィッと見られます。今までもそうだったのか、こっちが相手を見るようになったのでしょうね。この時期もう、どうでもいいや。ってことか。 誰も、教えてくれないのでインフォメーションにいったら今月からクラクフ写真月間です。街のあちこちで見られます。 コウやって、探して行くんですね。教えてくれればいいのに... 06/11/2002 ally my loveが見たくてアンテナを合わすも映らない機嫌の好い時だけ見る事ができる、来週か? 不可解で一番自分に似ている人、 ひとつの最小単位として、ふたりだけの愛を捉らえている若者、トルストイの性の純潔の困惑から一歩も進んではいない。それより、小さい何かいたわりの様な個人主義。 大海に浮かぶ誰ものせていない一層のボートのような。 金曜日に新聞を買う。アートの情報とテレビ番組表。 クリスチャン ツィマーマンーピアニスト? アーノルド ロヴェルトー絵本作家? 14/11/2002 昨日まで窓の取り替えでほこりまみれ。 終わってないけど、日曜日暑いくらい晴れて、ほんとに半袖、ホコリをだして 掃除。自転車日和。なんだけど青い空。あっ、これいいね、 冬日干し 自転車日和 なんだけど ノミの粉 微(美)粒子なる 初雪に似て kultur Kronos Quartet この人は天才だ。クラシックの領域を理解し、現代音楽でありながらすべての ジャンルを取り入れている。 いわゆる自分を分かっている、理解した上で最大、暴れてみせることが出来る。 4人それぞれがソロであり、生かしながら併せてゆく。 強弱、美しい不協和音、つまびきが自然を感じさせる。 17/11/2002 Poland cooking recipe 麦御飯のおこげ、牛すじスープ狂牛病風味ぞえ。 なぜ、自分はこのようにしか、いきてゆけないのだろうか。 あるいは、人はどうして、あのように生活してゆけるのか、 変わりようのない、自身の内臓。 Kafka 自分以外の他人、隣り合わせの異性。夜、カソリック養老院の窓の明かり。 24/11/2002 ミスポーランドコンテストテレビで見ました。 美の感覚まで世界は同じになってる、何処にいってもどんどんその国らしさは、 失なわれてゆく様だ。 個人主義の理想は文化、日本の文化ポーランドの文化と考えると頭が痛い。 印象はある、修復しえない、人の行為。 リュブリアナ−溶け出した銅製の彫刻の緑青 バルセロナー上より溶け出す形の流れ リトアニアwilnoーキリスト、密教への路 passau−苦行僧ミイラのキリスト アメリカ人って顔デカくて長いね、関係ないけど・・・ 30/11/2002 scene7 風景(晩秋) 気ずいていたのではあるが、この平坦な土地から発生する雲は横の流れる。 好きな形を作ってくれる。 曇っていればふさぎこみ、晴れれば明るく楽しくなる。雨は落ち着き、寒さは おっくうになる。当たり前のこと、ポーランドの人はこの中で顔を変える。 パイプのはなし。 パイプほど男の子の遊びをふくめたヒマの使い方はない。 葉っぱはアロエ、オレンジ、りんご、バニラと薫りを存分に変え、甘い味を楽しみ、パイプの形、色、持ちやすさ、と自己満足と機能、収集癖をも満足させる。 扱いは難しく、使いこなすには時間と根気を要し、さらに一番大事なのは、掃除である。 このパイプは、掃除好きに男にはたまらないのである。 08/12/2002 ここ2—3日、上空の温度が低く、雪が降り始めている。 今朝は粉雪、路は濡れていない。 窓の外の雨よけには雪の結晶が飛ばされてくる。気温が低いせいか、上空のちりの形な為か、見た事のない美しい六角形のそのものである。 12/12/2002 scene8 風景(初冬) アパートメント南歩いて10分ほどのカジミエーシュ地区から宮永くんと彼女、ボイテック夫妻、ヤン・ボサックと友人3人、ビールをのんでいる。 夜12時過ぎ、帰るタルク(市場)のそばでホットドッグ売りの火柱が上がっていた横を通り過ぎる。 また、タルクではザコパネ(山岳地帯)から来ている、ほっかむりのポーランドおばちゃんはチーズ売りだ、寒そうに見える。季節は冬に入った。 この滞在、友人が帰ると襲ってくる孤独はものすごい。これまで生きて来た中でも、耐えられない感情だ。確かに狂気してしまう人もあったろう。 考え直さなくては、孤独を甘く見ていた。通常は甘く見ていた感情が表に出てくるのだ。自分の中から・・・だまってひっそり、生活に隠されていた物が・・ 必要とされていない時間。 必要とされていない人間。 Merry christmas and Happy new year. と大家のタデウス。 20/12/2002 プラハに行って来た。観光地という感は否めない。 旅行では、というと面白い場所だろう、建物も店もビアホールもクラクフより物価が安いほどで驚かされた。 しかし、我々にはプラスアルファが必要だね。 帰るとこの街の地味で質素なこと、クリスマス前だというのに普段と、さほど変わらない。あえて言うならば、これがポーランドなのだ。 21/12/2002 もちろん、滞在するクラクフ以外にも旅行している。旅行と言葉するのは、旅ではないと言う事。ワルシャワ、チェシン、ウイーン、プラハ、それぞれの街の事、人は話す。 こんな無駄な事はない。受取手の感じ方、どうだった?人は聞く。 人の話と同じだった事はない。 23/12/2002 今日は日曜日の雪の解ける雨、奇妙なのだが今まで積もって濡れて解けてるような、道ではなかった。雪が消えて、減ってゆく感じ。 今日は温度が低くないと言う事なんだろうけどその雪が雨で解かされている。 29/12/2002 陰と陽の時間の隙間に浮いている、間(無)。 感情においても同じ様に考えられる。 明暗の移動する瞬間、日と影のぼやけた灰色の場所。その隙間に無がある。 その無に何があろう、求めているが不確かな無常。 欲の立ち入れぬ、達観。そんなものは知ろうとも、学習したくもない。 本来の人としての嘘も裏も、備えた無、瞬間(とき)。 人がただ、生命としてある、居場所、或いは大地にあるという、1個の想い。 さて、不思議な今年が終わる。 31/12/2002 scene9メール 先日、友達がこちらに来て、案内して、廻りました。地味で質素な雰囲気が分かったようで、良い街だねということになり、安心しました。 というのも、随分見なれてしまったので、人がどのような受け止め方を するのか分からなくなってしまっていたのです。 やはり、教会は美しく、コルべ神父のゆかりの教会もあるのでは、ここかな、と か。最近古い映画館やオペラ劇場の建物を発見したりします。 食べ物もOK,美味しい物も分かるようになってます。 温泉(温泉などないのですが)水、ヨーグルト、黒米、酸っぱいパン、魚はほとんど、ありませんが、ヨーグルト漬けの鰯は食べられるようになりましたよ。 今は雪が流れ、(降るという感じではない)マイナス10度ぐらいかな。 明日から、また制作に入ります。良い年でありますように、またメールいたします。 パワーのある個(もの)と小さな『芸術』 私のやってることは芸術ではない、という話でこの2つの言葉を考えました。 大人として知覚し、極力マイナスエネルギーを抑え、一歩でも前へプラスの力を発してゆく、それだけでも芸術。 12/01/2003 #
by water-yo
| 2009-05-25 18:40
| 惑星クラクフ日誌
点と線、4と2が繰り返し、現れては消える。 紙の上には4次元、5次元をもつ平面がある。 縦、横、幅、時間、記憶?精神?エネルギー?或いは次元そのもの? 絵で例えると点(線)、かたち、タッチ、色、精神(情感)。 ともかく、それを捉える事だ。 かたちの中には偶然と必然の調子を含み、そのタッチはストローク、すなわち上から下、下から上へ、右から左、左から右へ、その動きと時間により形をなす。 13/01/2003 小さなベットで足の親指が触れる、窮屈なのです。 歳とって左手が背中上で右手に届かない、窮屈なのです。 アパートの部屋は窮屈で街の広場も窮屈。 そんな冬の私の情景です。 17/01/2003 scene10メールfrom mie ise city・・・M.maria erizabes 聖コルベ神父様はポーランドのニエポカラヌフから日本の長崎に神の愛を伝えに来られ、現代も日本中にコルベ神父の精神に生きる修道者・信者が沢山います。 実のところ、私もそのコルベ神父の精神に奉献した一人です。 一昨年の秋、長崎のその地を訪れました。 当時、コルベ神父と一緒にポーランドから日本に宣教にきた修道士のうちの 二人がまだご健在(92歳と96歳)なのですが、そのうちの一人の修道士が、私にありし日のコルベ神父の話を沢山してくださり涙を流して私を抱きしめてくださいました。 「またおいで・・・」と言って。 彼らは聖コルベに「私に代わって日本を守るように」と言われ、コルベ神父さんは日本を離れたそうです。そして、その後アウシュビッツで殉教しました。二人の修道士はその約束をひたすら守りながら、今も日本の修道院で祈っておられます。彼らに出会えたこと、このチャンスは天国の聖コルベからの贈り物でした。 20/01/2003 ついに、出来たア。論理と形象が、 1ヶ月さぼって、いたんだけど、1/21は記念すべき日なので早々にお風呂(シャワー室にお湯をためる)と湯上がりのビールだよ。 これから、まとめるのだけど、簡単に言えば、ロスコとリーウーハンのそして、その中(このふたり実際は知らないので)にある自分を論理出来たのである。 作品はこれからだけど、まあ、ゆっくりね。 しかし、人はとらわれる事が多いね。 やはり、コンセプトアートだよ、言葉に出来なければ絵になんか作れないよ。 ・・とりあえず。 だって絵だけで全て語れていたら、それでお仕舞い。続けることは出来ない。 手を付ければ止めての繰り返し、うそばかりだった。 手が進むはずないよ、良い作品じゃないんだから。目先の事ばかりで 言葉にしようもない作品なんだから。 ひとり、孤独で発狂したのではないので、お断りしておきます。 この滞在の報告書(論文)書き始めていて、いろいろ考えていたら、絵が10秒(下絵は結構かいて、張ってある)で出来た。木版(1版、モノクロ)にするのは時間はかかるけど、もちろん。 前記のまねに見えるかも知れないけど、わたしではあると思うよ。 21/01/2003 scene11 朝5時と午後 窓のを開け放つと、今にも離陸飛び立ちそうなロケット、朝のもやの中で頭を光らせている。中では、ミサの準備の司祭アンドロイドと掃除おばさんロボットが動き回っているのだろう。教会の塔はロケットと認識した、満月の日曜日。 午後にドアのたたく音、開けると子供達が3人だけで立っている、アジア人を見てどうしようか迷っている『プシェプレーシャム』と言って謝ると上階に行って、 歌い始めた。小銭を貰って階段を降りて行く。前の路には青年が示唆していた。 『危ないアルバイトだな。』 1日、1時間と時が過ぎてゆく感覚。朝と午後を繰り返している。 この中にあって絵の事を考えたりする幸福は他に類を見ない。 人、創造しない人はまるで、喜びをしらないに等しいとまで思い起こす。 誰もが創造している、そして流れている。 また、異なる時間を持っての幸福もあるだろうが・・・ 働き、休み、寝る、動き、止まる。 列車の時刻を待つ待ち合い室で、、時を待つまでの間通り過ぎる時間。 たばこの煙りに咳き、寝不足の目を赤く見せても『幸せだ』ともかく・・ 05/02/2003 ふたたび雪とその寒さが戻って来た。 06/02/2003 scene12 隣 上階で夫婦けんかの声が聞こえる。 隣の部屋でも、下の家族も、月いち程、やりあっている。 バタンと扉が閉ざされ、音が消失する。 この国の男は皆、やさしく温和にすら、見える。パートナーはその中で権利を 主張し、また反目する。 男は哀れみを受胎するかのような顔になり、外に出ると女性の為に生まれて来たというように、世界を掬う。 私が絵をやってなかったら・・・いわゆる、ひとつの知覚(知識)の共通の意識で関係した世界を持っていなかったら・・・ それは共用、繋がり、連帯という意味になるのかな? 人は周りの知人のなかで自分を存在させる。 ひとつの人間がひとつのエリアを持っている、ひとつの知識が共通項に繋がる。 集団の意識(集団ではなく)が生まれる。 『宗教も同じ事か?』 (現在、これを個人主義の暴力的な錯覚の中で拒否している部分もあるかも知れない。) 『人はこれを見つけだそうと生きている。』 ひとつの知識から連帯。それが複数に変化してゆき、さらにその連帯と繋がる。 『これは戦争にもなるな?』 たとえば2人称の愛、家族というのは同盟だ、連帯ではない。 この考え方ゆえに愛は存在しない。 愛と連帯との争いなのかも、あるいはどちらかが進化なのだ。 それでも、絵をやっていて良かったと思う、幸せだ。ひとりではない。 08/02/2003 学習するということ。学習しない、出来ないのは? もちろん、それは各人で受け止める観点が異なり過ぎる。 環境、世代、時間にも学習を受け止める視点が異なる様に・・・ たとえば、変容して行かない作家がいる。 自分をすべて、掌握しているのか、冷静に自己と対立した結果なのか、作家自身が学習しない作品を見たくもない。 理解したくないのであろうか?体感しようとしないのはなぜなのか? 人によって、なぜ、これほど理解、感性が異なるのだろう。 必要な最小の生の行為、人の形に生かされている術なのに・・・ 14/02/2003 scene13メールfrom field planet・・・アンドロイド・takako 好きだというこの感情は、日常生活に追われる中の、アウフヘーベンか? ここは、ポーランドの思索の時間に入れてくだされ。 なーーーーーんにも、変化無し、 文句もないし、話もないし、全然なんにも、なーーーーーーんにもなし。 私だけが、ときどきちらりと文句いってる。 こんなんでいいの? などと、ね。 そりゃ、私ですけど、よくないのも、ひどいのも、 でもさあ、なんとかあるでしょとも思いますがねー? 穏やかさは真綿で首しめる。 見えない敵と戦うのは、くっくるしーい。 この1週間、閉ざされた冬を味わっている。 東北の雪のように空を覆うぼた雪。同じように音を消失させる。 手前と奥、風の流れと、リズム、寒い窓に拠って眺めていると音のない部屋は音のない時間を通過させる。 雪掻きの仕事の呼び声は豆腐屋のそれと同じだ、4階の雨樋からつららが、雪解け、夕凍みを繰り返し、1メートルにも伸びている。 つららおとしワーカーが命綱を危うい煙突に巻いて地面にとんかちで落とす。 15/02/2003 異国にこっそり、暮している。街の人になって市場を石畳みを歩く。 小さな秘密のように、誰かに見られていたら、微笑して見えるのでは無いかと まわりを気にする。 宗教もこの国の悲しみも賃金も知らずひそやかに、ひっそりとした愉しみ。 興味の外の時間、観察の内なる外側。 18/02/2003 3つのぶれの直線は気持ち良いか? 音の揺らぎは脳に快感を与える、ぶれが不安定な音を併せて揺らぎになる。 文字の表象は絵画か? 筆がもたらす直線は何か? 偶然と必然の顕われ、緊張感。走り止まる、ゆっくり止まり飛び出す。 aからbへ,aからc、横ヘ。 線から平面へ、奥へ手前へ。ひとつとして同じ筈はない。 06/03/2003 夢の中で朝が来た。消え去るイメージに目は開かない。 何時までも耳を閉ざす、無意識が夢に伝わる、私の言葉は少ない。 そして私は風景画家になる。 抽象型を見つけだし、目前の事象をタッチに変え、それは情緒的、感覚的、また自発的だ、始めからそうであった様に。 人の心は変わらない、人は描けない、風景の中に顔は顕われるだろう、風景の中に心は顕われるだろう。 08/03/2003 さて、冬もようやくお仕舞いだ。屋根の上の雪も、道ばたの凍りも昨夜の雨でなくなった。 10/03/2003 scene14 TV イラク、バクダッド侵攻、いつもどおりの時間のニュース、天気予報、明日は8度、ラスベガスにて女子プロボクシング世界タイトル10ラウンド、バドワイザ−の広告のリング。正常なひととき。 イースター復活祭、報告(炎と水のお祭り、イエスのつくりかた) 1、まず、準備した、かごに大事に描かれたたまご、ひよこ、羊、花や葉っぱ枝 を飾り、1週間ほど寝かせます。 2、イースター前日、土曜日教会に丁寧に手に抱えてゆき、ミサで聖水を かけていただきます。(この日は絶食したり、肉を食べなかったりします。) 3、イースター、夜の12時にたまごからキリスト様が生まれでます。 (この時を境に人々は動けなくなるまで食べまくります。ですから日曜日、 イースターは誰も教会に出かけません。) 4、月曜日の午前中、若者は水を人(得に女性)をかけたり、浸けたりして喜び ます。 21/04/2003 朝10時、教会の鐘が鳴り続けている。 何処から?鐘の音は?風の所為でいつも見失う。 時間を告げる音ではない。風に流され、1箇所なのかすら、分からない。 人が死んだのか、ミサが始まるのか。 いや、春の告げる音、国中が春祭りなのだろう。 ハレルヤ、コーラスのハレルヤ。 古い世代は民謡手ぶり、踊り。 新しい世代は飛び跳ねる。 03/05/2003 懺悔は確かに宗教だ。 セラピー、救済、教会に往く事だ。 09/05/2003 何かおかしい。 いらいらする。 自殺は自己の虚無と間だ、これは殺人の処方だ。 怒っている。 外に興味をなくし、苛立ち中で嫌悪を他人に向けている。 これで人を殺せるな、まさかこれまで体感するとは・・・ 春か。 10/05/2003 なにもかも飽きてしまったようだ、欠落。 ぬけた。 走るか? 15/05/2003 友人は、この惑星を秘密主義的と表していたが、私はかなり他人や、人事に興味を示さない、無関心主義に言い変える。随分な個人主義も過ごし易くはある。 個人と個か。 確かめる術もないので、ほっておこう。 17/05/2003 5月末の日曜の午後。 今日も木の綿種が舞っている。 部屋に入り込んでくるので窓も開けられない。 もう4日も続き流されている、その前の2日間は花種が舞っていた。 種吹雪き、春。 全体を見れば何の事はないひとつである。しかし、それの個々は同じ物ではなく、ひとつひとつである。 また落ち着いた日々に戻った。 25/05/2003 敗北だ。 人の所為に出来ない。 むずかしい、異国文化はやはり怖い。分からないのに戦争できるの? あ、怖いから戦争か、なるほど。異文化である事さえ、分からない。 この惑星の祝福された街に・・・取り残されて立っている。 01/06/2003 ハードSF小説好きの70年代ロック少年。 人間性善説の否人間至上主義者。 根っからの無神論者でフェミニストコンプレックスのマニフェスト。 平等偏執狂の個人主義者。 人好きの対人恐怖症。内向的世話好き。 の、外惑星クラクフ、内惑星の滞在期間が終わる。 10/06/2003 夏が来て、夏が終わった。 30/06/2003 我々、人はなぜ、生きてゆくのかという答え。 キーワードは学習、いつか変化してゆかない作家はきらいだ、と書いた。 なぜ、製作するのか、たとえば成功して、欲が実って、(もちろん心の中ではお金 もほしいし)たとえば海外で個展や審査員によばれたりする。 歳とった所為かも知れないけど、興味ないなあ、廻りのえらい人達見ていても。 お金だけは少し必要で、人との繋がりが増えるのはいいよね。 でもそんなことより、自分に納得できる行為(作品)作りたいよね。 (この部分で人と喧嘩、切ってしまうんだよなあ、納得できないから。) それが学習だよね。 学習し続ける為に、先のような欲を持つんだよね。(欲の為ではないよね、そう、多くの人は逆なんだよね。自己欲の為に生きてしまう) し続ける行為が人、学習。INGだね。....ed(過去形)はいらない。 友情や愛情、交流や接触、人の繋がりの煩わしさも学習のひとつになるんだよ。 しかし、この学習というやつ、なかなかくせもの。 かつて、経験主義をしかたなしと考えて、それから体感主義、今は我感主義になっているが、幼い内は体験によってしか、学習が出来ない事、くやしいことである。 04/07/2003 個性と個 個性はそれぞれ皆、持って立っている、でも個ではない、個とは求めてゆく行為の事に等しい。 個など自覚できないのだ。だから、学習という言葉が近い。 今、墨の器というシリーズの1点目(テーマとして続きそう)始めたんだけど。 形もあって、筆のあと滲みみたいな絵なんだけど、いわゆる絵を書こうとする前の間みたいな、あえていえば人間なんだよね。 そう、学習そのもの、人間そのもの、それから言葉(文字なのか、単語なのか、会話なのか、今少し分からない)、はじめに言葉あり、言葉こそ一番初めの学習。みたいな感じ。ははは、やっぱり禅かあ? 11/07/2003 まいるね、今まで本から知識得ないで独学、生きて来たのだけど、これまで考えて来た事、そのまま載っているんだね。 先の学習なんて、座禅そのものじゃないか、そして私の生き方は破戒僧。 考え方はやはり、禅だったね。学習に意味があって、到達しないこそ、生きる意味。悟りなど何度もあり、そして忘れ、それが続くだけ。INGに意味がある。 座禅の魔境、これはおもしろい。自己生理的瞑想かな、脳や体調による思い込みによる悟り、曲解。 12/07/2003 絵画はこれまで、神を、人間の内の神を、自然の中の神を描こうとしてきた。 全て、宗教心理から離れられない。 人の為の人に於ける絵画はないのだろうか。 いや、むしろ絵画の流れは、商業アートに流れ、純粋アートに近いのかも知れない。この戻る行為を、伝統芸術とよび、進む行為を純粋芸術としてみよう。 一見、どちらを選ぼうと良いのだろうが、全て人はその場から少しづつ進んでいるのだ。 宗教の否定は人間で無くなるのかも知れないが、絵画ぐらい離れても良いのではないだろうか。ロスコは芸術絵画を、分解して見せたが、その中には宗教が見え過ぎる。 15/07/2003 旅は終わらないさ。 春雷、夕立ち、すいか、枝豆、ビールの夏がある。 人の四季。 恐ろしいのは春の狂気と老いた時の夏の日ざし、刹那。斜陽か。 朝4時から夜9時まで明るく、7時に輝きを魅せるのは3階に暮している所為。 ポーランドの人が人を騙さないのはなのは四季がある所為。 いつもの煙草屋に品数が少ないのは旅行者が持ち込みが減った所為。 飛行機雲が多いのは空港が近い所為。 夏の日ざしが強いのは冬の長さの所為。 この国で日本を感じるのは中華街が無い所為。 なんのことはない、すてきなことさ。 #
by water-yo
| 2009-05-25 10:59
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